意識の問題かぁ
以前、erlangでのタプルの存在意義がいまいちといっていたんだけど、どうやら他にも感じていた人がいたらしく、そういう人のために、そのことについてjijixiさんが記事をかいていた。
だって、リストとタプルは違うものだから。リストは同じようなものを並べたもので、タプルは全然違うものをひとまとめにしたものなのだ。データとしての意味が全然違う。
これはもちろん「そうじゃなきゃだめ」と決まっていることではないけど、暗黙的了解事項としてこういう分類の仕方は存在すると思う。
http://jijixi.azito.com/cgi-bin/diary/index.rb?date=20070525#p01
できるから同様に使うというよりは、データの意味を考えれば自明だったかぁ。たしかに、タプルがあるのに、リストでデータ(というかオブジェクト?)を表現しようって思わないからなぁ。
最後に書かれていた部分で、すごく納得。
なんつーか個人的にはもっとこう一言で終わるというか、ぶっちゃけ、
* 「後でまとめて処理するためのひとかたまり」がリスト
* 「バラバラにしとくと扱いが面倒だから、ひとまとめにしたもの」がタプルぐらいの話なんだけどね。
http://jijixi.azito.com/cgi-bin/diary/index.rb?date=20070525#p01
mapとかで、後でまとめて処理をすること考えたら、リストにわけのわからんもののをいれることはしないからなぁ。