なぜhaskellとかをやるのか
id:TeRuの研究室でOBが来て、なにやら、はてなは非モテだとか、rubyだのtwitterだのhaskellだのいって帰ってったらしい。で、TeRuが時間があればやりたいみたいなこというもんだから、やめて機械語勉強しろといった。
今、Rubyであれば、たいていのlinuxディストリビューションに最初からはいっていたりするので、仕事でテストのスクリプトだとか、結果の整形に使えるんだけど(僕は非Web系SE。)、haskellはそれ(使いたいときにすぐ使える)ができないわけで。
むしろ、普段Rubyでかく時に、頭の片隅にhaskellがいて、defとかだりぃとか、なんで.callなんて書かなきゃいけないんだとか、なんでRubyのArrayにはheadやtail(car,cdrでも可)がないんだとか、$演算子がないんだとか、ちょっと不満がでてきたりする。
世の中にはhaskell脳なんていう恐ろしい病気(本家のサイトにつながらなかったのでキャッシュ)があるみたいだけど、近い症状は出てきている。分岐、繰り返しとかよくわからなくなってきてい。Cとかでも、気を抜くと再帰でかいてあふれかえる。
最近、Rubyは仕事において手に持っている銃にこめれる弾丸になっているらしいんだけど、Haskellは弾丸になることは(最低でもしばらくは)ないだろう。というか、SEみんながHaskellというのは、それはそれであれな気がするけど。
そんな現実世界において弊害ばかりとしか思えない、haskellとかやっていて何がよいのだろう。ちょっと、自分で答えがみつからない。みつからないというか、まとまらないというか。単純に好きというのもあるんだけど。なんというか、他にないのかなぁ。